軽音神楽衆 その伝説と舞台
- 商品コード
- 2000000082103
- 商品名
- 軽音神楽衆 その伝説と舞台
- サークル
- 秘本衆道会
【作家】衆道士ペドフェチ
【発行日】2011/03/21
【サイズ】B5判
『けいおん!』のモデルが江戸時代に?
『けいおん!』の設定やストーリーを、歌舞伎や浄瑠璃っぽく翻案している本です。
--本文一部抜粋してご紹介します。--
1.大衆芸能発達期としての17世紀
日本という国には、古来より「人形浄瑠璃」や「歌舞伎」といった優れた芸能が存在し
ている。それらは最近でこそ「伝統」や「格式」を身にまとい、きらびやかな大劇場で演
じられるハイカルチャーとみなされているが、濫觴をたどればあくまで「大衆のための娯
楽」であった。寺社の敷地内や市街の大通り、時には川のほとりなど、人目につく場所に
設けられた仮設舞台の上で、庶民の気軽な喝采を浴びながら披露されていたものだった。
徳川政権がもたらした太平の世は、そのような「庶民芸術」の発展を加速度的にうなが
した。より多くの観客ないし聴衆を喜ばせるための方略を、じっくりと考えることのでき
る余裕が、歌・舞・音・曲それぞれの分野に広くもたらされたのである。
さらに古い「芸」のかたち……すなわち「能」や「狂言」、また「雅楽」や「琵琶によ
る語り物」などの様式をふまえつつ、17世紀にはそれらをさらに発展・俗化させた新し
い表現が次々と生み出された。とくに「義太夫節」を創始して浄瑠璃ブームを引き起こし
た「竹本義太夫」や、「歌舞伎」の元祖となった「出雲阿国」などの功績は、つとに有名
である。現在我々がよく知る「伝統」も、登場した時点ではまさに舞台上の「革命」であ
り、また当時の人々が熱狂する「最新の流行」でもあったのだ。
2.謎の劇作家・「飛牡蠣」
かくなる「革命」を志した者は、決して義太夫や阿国などの有名人ばかりではない。後
世にまで影響を与えた大成者たちの陰に隠れ、今やその名は歴史の闇に埋没しつつあるも
のの、従来の様式を乗り越えた「新しさ」を追求した創作者は、他にも数多く存在したは
ずだ。私が本稿をもって紹介しようとする「飛牡蠣(とびかき)」という人物も、そのひ
とりである……とは言うものの、彼の経歴を伝えてくれる資料はあまりにも少ない。分か
っていることと言えば、最近になって台本が発見された『軽音神楽衆もの』と呼ばれる一
連の劇作品を著したこと、それらを多種多様の芸能一座に提供していたこと、および活躍
年代が17世紀半ばであることぐらいである。また、その特異な筆名(まさか本名ではな
いだろう)の由来についても、不明である。
なお後述する『大和守日記』新出断片には、その舞台を観た感想に添えて、
「飛牡蠣の弓手の筆の跳び書きし花の京(みやこ)の少女(をとめ)玉章(たまづさ)」
なる狂歌が書かれていることから、彼は左利きで、かつ活動の本拠地は京都らしいとも
推定できる。そしてこの歌がいみじくも表しているように、彼が一貫して描き続けたテーマは
「少女の煌めき」であった。
飛牡蠣の残した台本は、狂言・浄瑠璃・歌舞伎など多種の形式に渡っている。しかし、
それらの筋書きや演出は、彼より前後に生まれたどんな舞台芸能にも似ていない。『軽音
神楽衆もの』(『軽音もの』と短縮されて通称されることもある)には、武勇に優れる英傑
も、祟りなす怨霊も、奇跡を起こす神仏も登場しない。そこに出演するのは、ただ楽器の
演奏を得意とする少女ばかりである。そして彼女たちは、台本の大部分において、実に気
ままに振る舞う。茶を飲み、菓子を食い、たまに興が乗れば「神楽」を奏でる。飛牡蠣は
ただ、芸道人たちの穏やかな「日常」を切り取り、そのまま舞台上に再現して見せている
だけなのだ。しかし、それがかえって太平の世の「お気楽」な雰囲気にフィットしており、
世間から好評を博するようになったのだろう。
後世、歌舞伎には「世話物」というジャンルが生まれ、そこでは市井で起こる「犯罪」
や「恋愛」など、庶民生活に密着したテーマがドラマの主軸となった。だが『軽音もの』
では、それすらも起こらない。
ハプニング性・スキャンダル性とは無縁の、どこまでも平和な「日常」世界。だが、そ
れゆえにこそ、同時代における飛牡蠣作品の特異性は浮き彫りにされるのである。
3.『軽音神楽衆もの』の主な登場人物
『軽音神楽衆』とは、名が表す通り「歌」と「楽器演奏」を生業とする5人組のグルー
プである。今で言えば「ガールズ・ポップのバンド」とでもなろうか。作中では、『勤行
後茶事(おつとめのちのさじ)』という一種の「バンド・ネーム」を名乗ることもある。
その構成員たちの名前、および劇中での目立った特徴は、以下の通りである。
a.唯
神楽衆の花形。得手物(特異な楽器)は「南蛮琵琶」であるが、実際にどのような形
状であったのかはよく分からない。恐らくは、南蛮貿易によって伝来したリュート類だ
ったのではないかと思われる。また彼女は、それに「義亥太」という号をつけて、ま
るで実の恋人かのごとく愛玩している。
性格は極めて粗忽で、独特の感性から生み出される不可思議な台詞が観客の笑いを誘
う。狂言における「太郎冠者」のような、ピエロ的役割を担うことも多い。しかし反面、
時には凄まじい集中力と才覚により、神楽衆一座を牽引する神性をも併せ持つ。「天才」
と「奇人」の間にある、紙一重の境界上に立つキャラクターである。
b.澪
参
みどりなす長髪が特徴の、平安貴族的美女。得手物はやはり「南蛮琵琶」だが、「調
べの主」とされる唯とは違い、彼女は「調べの礎」を担う役目を持つという。彼女たち
が演じる「神楽」の形式は謎に満ちており、それらの言葉が意味するところもまた明ら
かではないが、思うに「高音・メインパート」と「低音・ベース」のような関係性だっ
たのではないだろうか。ちなみに彼女の楽器にも、「襟座辺」なる号が存在する。
重度の恥ずかしがり屋で、かつ怪談・刃傷沙汰などは話を聞いただけで震え上がるほ
どの小心者でもある。しかし基本的には真面目かつ聡明な人物で、一座の運営を仕切る
役割が目立つ。
c.律
「南蛮太鼓」を打ち鳴らす、陽気で楽天的な少女。行動の指針を「その場のノリ」で
決めてしまう嫌いがあり、また演奏も勢い任せの調子(リズム)で独走しがち。それゆ
えに、幼馴染の澪とは反目することも(ただし、心の奥底では強い絆で結ばれている)。
大雑把な性格であり、唯と並ぶトラブルメーカーでもあるが、どういうわけか一座の
座長を務めている。そのことには深い誇りを感じており、持ち前の明るさで舞台の雰囲
気を華やいだものとするのが彼女の主務である。
額の上に装着する奇異な髪留めを愛用し、普段は前髪を上げている。
d.紬
作中ではもっぱら、「むぎ」というあだ名で呼ばれる。他のメンバーが庶民の出自で
あることに対し、この紬だけは「琴吹家」という室町期に権勢を誇った管領一族の姫君
である。江戸時代における演劇は、徳川体制への配慮(つまり、お上から睨まれるのを
防ぐ目的)から同時代の武家を登場させず、代わりに室町以前の時代設定を好んで使っ
たが、『軽音もの』もまたその多分に漏れなかった。
彼女は一般大衆の生活ぶりに興味を持ったがために、あえて身をやつして一座に加わ
っている。しかし殊更に血筋をひけらかすことはなく、むしろ他メンバーと対等な関係
であることを望んでいる。一座の口に入る茶や菓子も、そのほとんどは彼女が気前よく
提供しているものである。
得手物は「つまびく弦かぞへて七十六の軽音箏(そう)」とされるが、これもま
た他に類型を見出せない、特殊な楽器である。また『大和守日記』をはじめとするレビ
ュー群には、彼女の持ち歩く「南蛮鍵盤」の重さを四貫半(約17キログラム)だとす
る説が散見される。かような怪力を持つことについて、研究者の間には『日本霊異記』
中巻や『今昔物語』第二十三巻などに見られる「力女」の系譜を見て取る説もある。
(以上、本文より抜粋)
サンプル画像
【発行日】2011/03/21
【サイズ】B5判
『けいおん!』のモデルが江戸時代に?
『けいおん!』の設定やストーリーを、歌舞伎や浄瑠璃っぽく翻案している本です。
--本文一部抜粋してご紹介します。--
1.大衆芸能発達期としての17世紀
日本という国には、古来より「人形浄瑠璃」や「歌舞伎」といった優れた芸能が存在し
ている。それらは最近でこそ「伝統」や「格式」を身にまとい、きらびやかな大劇場で演
じられるハイカルチャーとみなされているが、濫觴をたどればあくまで「大衆のための娯
楽」であった。寺社の敷地内や市街の大通り、時には川のほとりなど、人目につく場所に
設けられた仮設舞台の上で、庶民の気軽な喝采を浴びながら披露されていたものだった。
徳川政権がもたらした太平の世は、そのような「庶民芸術」の発展を加速度的にうなが
した。より多くの観客ないし聴衆を喜ばせるための方略を、じっくりと考えることのでき
る余裕が、歌・舞・音・曲それぞれの分野に広くもたらされたのである。
さらに古い「芸」のかたち……すなわち「能」や「狂言」、また「雅楽」や「琵琶によ
る語り物」などの様式をふまえつつ、17世紀にはそれらをさらに発展・俗化させた新し
い表現が次々と生み出された。とくに「義太夫節」を創始して浄瑠璃ブームを引き起こし
た「竹本義太夫」や、「歌舞伎」の元祖となった「出雲阿国」などの功績は、つとに有名
である。現在我々がよく知る「伝統」も、登場した時点ではまさに舞台上の「革命」であ
り、また当時の人々が熱狂する「最新の流行」でもあったのだ。
2.謎の劇作家・「飛牡蠣」
かくなる「革命」を志した者は、決して義太夫や阿国などの有名人ばかりではない。後
世にまで影響を与えた大成者たちの陰に隠れ、今やその名は歴史の闇に埋没しつつあるも
のの、従来の様式を乗り越えた「新しさ」を追求した創作者は、他にも数多く存在したは
ずだ。私が本稿をもって紹介しようとする「飛牡蠣(とびかき)」という人物も、そのひ
とりである……とは言うものの、彼の経歴を伝えてくれる資料はあまりにも少ない。分か
っていることと言えば、最近になって台本が発見された『軽音神楽衆もの』と呼ばれる一
連の劇作品を著したこと、それらを多種多様の芸能一座に提供していたこと、および活躍
年代が17世紀半ばであることぐらいである。また、その特異な筆名(まさか本名ではな
いだろう)の由来についても、不明である。
なお後述する『大和守日記』新出断片には、その舞台を観た感想に添えて、
「飛牡蠣の弓手の筆の跳び書きし花の京(みやこ)の少女(をとめ)玉章(たまづさ)」
なる狂歌が書かれていることから、彼は左利きで、かつ活動の本拠地は京都らしいとも
推定できる。そしてこの歌がいみじくも表しているように、彼が一貫して描き続けたテーマは
「少女の煌めき」であった。
飛牡蠣の残した台本は、狂言・浄瑠璃・歌舞伎など多種の形式に渡っている。しかし、
それらの筋書きや演出は、彼より前後に生まれたどんな舞台芸能にも似ていない。『軽音
神楽衆もの』(『軽音もの』と短縮されて通称されることもある)には、武勇に優れる英傑
も、祟りなす怨霊も、奇跡を起こす神仏も登場しない。そこに出演するのは、ただ楽器の
演奏を得意とする少女ばかりである。そして彼女たちは、台本の大部分において、実に気
ままに振る舞う。茶を飲み、菓子を食い、たまに興が乗れば「神楽」を奏でる。飛牡蠣は
ただ、芸道人たちの穏やかな「日常」を切り取り、そのまま舞台上に再現して見せている
だけなのだ。しかし、それがかえって太平の世の「お気楽」な雰囲気にフィットしており、
世間から好評を博するようになったのだろう。
後世、歌舞伎には「世話物」というジャンルが生まれ、そこでは市井で起こる「犯罪」
や「恋愛」など、庶民生活に密着したテーマがドラマの主軸となった。だが『軽音もの』
では、それすらも起こらない。
ハプニング性・スキャンダル性とは無縁の、どこまでも平和な「日常」世界。だが、そ
れゆえにこそ、同時代における飛牡蠣作品の特異性は浮き彫りにされるのである。
3.『軽音神楽衆もの』の主な登場人物
『軽音神楽衆』とは、名が表す通り「歌」と「楽器演奏」を生業とする5人組のグルー
プである。今で言えば「ガールズ・ポップのバンド」とでもなろうか。作中では、『勤行
後茶事(おつとめのちのさじ)』という一種の「バンド・ネーム」を名乗ることもある。
その構成員たちの名前、および劇中での目立った特徴は、以下の通りである。
a.唯
神楽衆の花形。得手物(特異な楽器)は「南蛮琵琶」であるが、実際にどのような形
状であったのかはよく分からない。恐らくは、南蛮貿易によって伝来したリュート類だ
ったのではないかと思われる。また彼女は、それに「義亥太」という号をつけて、ま
るで実の恋人かのごとく愛玩している。
性格は極めて粗忽で、独特の感性から生み出される不可思議な台詞が観客の笑いを誘
う。狂言における「太郎冠者」のような、ピエロ的役割を担うことも多い。しかし反面、
時には凄まじい集中力と才覚により、神楽衆一座を牽引する神性をも併せ持つ。「天才」
と「奇人」の間にある、紙一重の境界上に立つキャラクターである。
b.澪
参
みどりなす長髪が特徴の、平安貴族的美女。得手物はやはり「南蛮琵琶」だが、「調
べの主」とされる唯とは違い、彼女は「調べの礎」を担う役目を持つという。彼女たち
が演じる「神楽」の形式は謎に満ちており、それらの言葉が意味するところもまた明ら
かではないが、思うに「高音・メインパート」と「低音・ベース」のような関係性だっ
たのではないだろうか。ちなみに彼女の楽器にも、「襟座辺」なる号が存在する。
重度の恥ずかしがり屋で、かつ怪談・刃傷沙汰などは話を聞いただけで震え上がるほ
どの小心者でもある。しかし基本的には真面目かつ聡明な人物で、一座の運営を仕切る
役割が目立つ。
c.律
「南蛮太鼓」を打ち鳴らす、陽気で楽天的な少女。行動の指針を「その場のノリ」で
決めてしまう嫌いがあり、また演奏も勢い任せの調子(リズム)で独走しがち。それゆ
えに、幼馴染の澪とは反目することも(ただし、心の奥底では強い絆で結ばれている)。
大雑把な性格であり、唯と並ぶトラブルメーカーでもあるが、どういうわけか一座の
座長を務めている。そのことには深い誇りを感じており、持ち前の明るさで舞台の雰囲
気を華やいだものとするのが彼女の主務である。
額の上に装着する奇異な髪留めを愛用し、普段は前髪を上げている。
d.紬
作中ではもっぱら、「むぎ」というあだ名で呼ばれる。他のメンバーが庶民の出自で
あることに対し、この紬だけは「琴吹家」という室町期に権勢を誇った管領一族の姫君
である。江戸時代における演劇は、徳川体制への配慮(つまり、お上から睨まれるのを
防ぐ目的)から同時代の武家を登場させず、代わりに室町以前の時代設定を好んで使っ
たが、『軽音もの』もまたその多分に漏れなかった。
彼女は一般大衆の生活ぶりに興味を持ったがために、あえて身をやつして一座に加わ
っている。しかし殊更に血筋をひけらかすことはなく、むしろ他メンバーと対等な関係
であることを望んでいる。一座の口に入る茶や菓子も、そのほとんどは彼女が気前よく
提供しているものである。
得手物は「つまびく弦かぞへて七十六の軽音箏(そう)」とされるが、これもま
た他に類型を見出せない、特殊な楽器である。また『大和守日記』をはじめとするレビ
ュー群には、彼女の持ち歩く「南蛮鍵盤」の重さを四貫半(約17キログラム)だとす
る説が散見される。かような怪力を持つことについて、研究者の間には『日本霊異記』
中巻や『今昔物語』第二十三巻などに見られる「力女」の系譜を見て取る説もある。
(以上、本文より抜粋)